チャイコフスキー「大序曲1812年」

コンサートに行ってきました。本物の大砲をぶっ放すコンサートです。内容についてはid:pyrite嬢の日記を参照してもらって、ワタシはワタシなりの曲の感想を書きたいと思います。
まず、この曲の舞台になっているのは1812年のヨーロッパ。ナポレオンの時代です。作曲されたのはそれより70年後の1892年なのですが。
当時のヨーロッパの勢力図は、大陸はナポレオンのフランス1色に塗りつぶされ、対抗勢力といえば当時最高の工業国イギリスくらいだったと記憶しています。ロシアは版図は広いもののまだまだ後進国でした。
ナポレオンは工業大国のイギリスに対抗すべく大陸封鎖令(1806年)を発布します。大陸とイギリスの通商を禁止し、大陸の市場をフランス独占にするためでした。こうしてナポレオンのフランスは着実に力をつけていきます。
しかし、これを黙って見ていなかったのがロシアのアレクサンドル1世。大陸封鎖令を無視し、イギリスと交易を続け、こちらも着実に力をつけていきます。ナポレオンは田舎の後進国が、と思っていたところに自分の大陸封鎖令を無視して力をつけてきたロシアを叩こうとします。1812年モスクワ遠征です。
チャイコフスキーの楽曲は勇壮なフランス国歌でフランス軍60万の大軍を表現します。迎え撃つロシア軍。フランス国歌とロシア国歌が交互に演奏されます。連戦連勝のフランス軍。ついにナポレオンはモスクワを占領します。ナポレオンはここでアレクサンドル1世からの講和を待ちますが、ロシアは講和の条件を飲むことなく、時間ばかりが過ぎていきます。そして冬10月。寒さに痺れを切らしたフランス軍は撤退を始めます。チャイコフスキーの楽曲はここでフランス国歌を変調して演奏します。ナポレオン没落の第1歩です。
歴史的なことを言えば、ナポレオンが冬まで撤退できなかったのには、いくつか理由があると考えられ、大きな理由としては、ティルジット条約で土地を取り上げられたプロイセンの農民解放運動を発端とした国内求心力の低下、そのため戦果なしではフランスに帰れなかった事情と言うのが見受けられます。
フランス軍が撤退を始めると追撃の手を緩めないロシア軍。フランス軍は敗走に次ぐ敗走で、60万の兵力はニーメン川を越える頃には5000人にまでなっていたといいます。
チャイコフスキーの楽曲はピークを迎えます。フランス国歌がロシア国歌に取って代わり、祝砲の大砲を何発もぶっ放し、華々しく演奏が終わります。
翌年、ナポレオンは第4回対仏大同盟の解放戦争のライプチヒの戦いで破れ、翌1814年には皇帝を退位、エルバ島に流されます。
いや、ホントに感動しましたよ。歴史を楽曲にする、なんて考えたことなかったですから。曲を聴いて、目の前に情景が見えて、おそらく変わることのないであろう大砲の音が鳴って。1812年のヨーロッパ戦線に自分がいるような、そんな錯覚さえ感じました。こういうコンサートに誘ってくれたpyrite嬢に感謝ですよ、ホントに。来年も、あったら行きたいなぁ。