永遠の目標

実は月曜の朝に、俺のじいさんが救急車で運ばれた。とは言っても俺がそれを知ったのは昼過ぎになってから。俺のオヤジは現場で仕事をしていたため連絡が取れなかったらしい。俺のお袋は営業で携帯電話が繋がらないところにいたんだそうだ。それで困ったばあさんが俺の職場に電話をかけてきた、って寸法だ。
不安ではあったが、ばあさんが言うには、今検査中で、どっちにしても夕方にならないとはっきりしたことは分からんから、と言うので、俺も少々厄介な仕事を抱えていたし、言葉に甘えて仕事帰りの夕方5時過ぎにじいさんの運ばれた病院へ行った。
俺のじいさんは、炭鉱出身だ。若い頃は炭鉱で働いていて、閉山後は町中の鉄工所で働いていた。炭鉱出身だから、体は強かった。
俺がじいさんに絶対勝てないと思ったのは小学生のとき。じいさんは一人で庭の隅に小さな物置を作った。小さな、と言っても田舎で言う小さな、だから、広さにすると車2台分はゆうに入る大きさだ。小学生の俺は素直に、すげぇ、と思ったもんだった。
ばあさんは体が弱かった。弱い、と言ってもそれは女性の弱さでもあって、じいさんが肉体的に強かったこともあって、ばあさんはじいさんに頼りきりだった。じいさんはそんなばあさんに嫌な顔ひとつしないで付き合っていた。退職してからだってそうだ。買い物に行くのもじいさんだし、病院に行くのだってじいさんの付き添いがないとばあさんは行けない。
実際はじいさんの方が体が弱かった。そりゃそうだ。炭鉱で働いている人は、多かれ少なかれ内臓やられちまってる。今まで愚痴を言うことなんかなかったじいさんがポツリと漏らしたのは5年位前だったろうか。「じいちゃんはな、ばあちゃんより弱いんだぞ、ほんとは。内臓なんか真っ黒だがんな」
じいさんが病院の白いベッドで寝ていた。症状は軽く、ブドウ糖の点滴をしている最中だった。普段よく会っているせいか気がつかなかったけれど、カルテを見たらこの1年で体重が4キロ減っていた。
医師が言うには今回の症状は過労によるめまいでしょう、とのことだった。じいさんは体を動かしていないといけない人だ。昨日の日曜日も家の周りの草むしりをずーっとしていたらしい。市民清掃デーだったから。
月曜日になって体がだるく、朝飯を食って吐いてしまったんだそうだ。じいさんはそんなときでもばあさんのことを気遣って、自分で救急車呼んで、家の外に出て救急車を待ったらしい。
俺は市の職員でありながら草むしり1本もしてないし、空き缶1つですら拾っちゃいなかった。じいさんは俺が市役所で働いていることが自慢だった。「孫が役所にいるのに、市民の清掃デーで草むしりしねえ訳にはいかねえもんな」
じいさん、ほんとすまねぇ。泣きそうになった。じいさん、あんまり無理するなよ、と声をかけると「もう80だがんな、すこし大人しくしねっきゃなんねぇか・・・80がぁ・・・なげがったな」
何を弱気なことを言うんだよ。あんたの孫はこんなにろくでもない大人になっちまったんだぞ。体は大人になったかもしれないけど、とことん親に迷惑かけて、じいさんにも心配かけるような、そんな孫なんだぞ。あんたは孫がもう少し立派になるまでくたばっちゃなんねえんだよ。
じいさんは「そうだなぁ、孫にもうちっと大人になってもらわねどな」家にいるときと同じ調子で、黄色い歯を見せて甲高く笑った。
それから俺は毎日病院に通った。俺の仕事が終わって病院に着くのが6時。面会時間の終わる8時まで、会話が途切れることはなかった。こんなにじいさんと話したのは何年ぶり、いや初めてかもしれない。
台風の夜には、「ばあさん台風きてんのにだいじょぶだっぺか」と相変わらず自分のことよりばあさんのことを心配していた。
また、来月に控えている俺のいとこ(じいさんから見たら孫)の結婚式には行けそうもなくて申し訳ない、と言っていた。
来月俺が誕生日だと言う話もした。「じいちゃんの誕生日と近いから○○(俺)の誕生日は忘れね」と笑顔で言った。
じいさんは昨日、退院した。迎えに行った親父の話だとバツの悪そうな顔をして家に帰ったと言う。
俺はどれだけじいさんに近づけるだろうか。じいさん、俺が近づくまで、長生きしてくれ。